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英語学習の俗説(2)

学校文法=文法・構文は役に立たない?。

そんなわけないでしょう

役に立たないどころではありません。

強力な武器です。

普通に日本で育ち教育を受けた人が、たとえば ― The interesting response to the nature-society tension, much more fertile than the return to, or nostalgia for, nature, can be summed up by the word "culture." It seems to mean something high, profound, respectable - a thing before which we bow. It joins nature as a standard for the judgment of men and their deeds but has even greater dignity. It is almost never used pejoratively, as are "society," "state," "nation" or even "civilization," terms for which culture is gradually substituted, or whose legitimacy is underwritten by culture. Culture is the unity of man's brutish nature and all the arts and sciences he acquired in his movement from the state of nature to civil society. Culture restores the lost wholeness of first man on a higher level, where his faculties can be fully developed without contradiction between the desires of nature and the moral imperatives of his social life. (「The Closing of the American Mind」より) ― というような文章を読めるようになるためには、文法・構文の知識が欠かせないし、逆に、その知識を背景に語彙が充分であればどんな英語の文章でも読めるようになる。

学校文法つまり文法・構文の知識こそ、役立たないどころか、それがなければあるレヴェルを超えた英語の文章など到底理解できないし、大学の授業などを聴いて理解することもできない。

それなら、どうして、「学校文法は役に立たない」という俗説がまかり通るのか?

2つの理由が考えられると思います。

(1)学校で学習するだけで、実際は充分理解もしていないし、ましてや習得もしていない。
(2)中学で学習する学校文法もおぼつかないから、かたことの英語もしゃべったり聞いたりできない。その結果 ― 実はしっかり習得していないからにすぎないことに気づかずに ― 学校文法は役に立たないと思い込む。

「The Closing of the American Mind」などに興味を持つ人は ― 実用的な価値は何もないし ― ほとんどいないでしょう。

他方、簡単なことでも英語でしゃべったり聴き取ったりできないことに不便を感じる人は大勢いるはずです。

だから、「学校文法は役に立たない」とされるのは、圧倒的に(2)の理由によるものと思われます。

簡単なことでも英語でしゃべったり聴き取ったりできないことに不便を感じる状態を脱するためにはどうしたらいいか?

案外簡単です!

その方法についても、また後程、説明するつもりです。
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